しがない記録

リアルの吐き出し/おたく与太話

自分は自慢ではなくとても裕福で幸せな家庭に産まれたとわかっている。両親が喧嘩しているとこなんか一度も見たことないし、引っ越した今でさえ広くなった家のリビングの一つのソファに2人で密着して座ってテレビを見ている。仲良しなんだなと思う。
父は医者でまずそれだけでステータスなのに背も高いし顔も決して悪くない。勿論開業する前は勿論彼もまだ若い人間なので苛々していたのだろう、小さいわたしの些細なことにキレてビンタされたことが2回ほどある。そして母は泣いて止めてくれた。高校に行かなくなって揉めたときは、直接父から怒られたことはないけど、仕事から帰ってきて父と顔を合わせたくない私は部屋に引きこもった。するとたまに部屋に勝手に入ってきて机のものを全て床に落としたりゴミ箱をひっくり返していた。つまり物に当たっていた。その度にビクビクしてわたしは布団に潜って泣いてた。
母だって泣いてた。でも無理やり学校にいかせようとするのではなく、ただ外に出てほしいみたいだった。昼間に高校生が学校にも行かずに母と共にジムにいてヨガをしている。異様な光景だったと思う。でも母は何も恥じずに娘と仲良いんです、って聞かれる人に笑って答えてた。すげえと思った。いいとこに産まれていい育ちをして、いわゆる恥ともいえる私のことを隠そうとか一切してなかった。(父方の親戚は除く、あそこは別世界)ただ、わたしの健康と幸せだけを望んでくれてた。
そして高認をとり無事東京の大学へ行けることになった。正直高校のころのことをわたしはママとジムに行ったり、休みの日は友達と遊んだりしたことしか覚えてない。パパと同じ食卓でご飯を食べていたかどうかさえ思い出せない。
大学のために東京にいく日、パパに頑張れよ、て言われたことだけは覚えてる。そしてそこからはわたしは大学生活が楽しすぎて、毎日充実して考え方も変わり視野も広がり、とにかく毎日が明るかった。
離れると途端に父とわたしの関係は修復された。まあ高校時代のこと覚えてないから修復って言葉は適切ではないのかも。でも彼はわたしをデロデロに甘やかしてくれた。それは今も。だからわたしは父とも母ともとても仲が良い、結果的に。
何か脱線しまくりだけど、今歳をとってわかることはもっと勉強しておけばよかった、些細なことで学校行かなくなったけどちゃんと卒業できてればよかった。まあどうしようもないんだけど。そして同時に親も歳をとるという当たり前のことに気付いた。まず父は前述の通りわたしに甘々になった。溺愛。母は更年期だからちょっと幼児退行してるけど、友達みたいな関係。とても居心地が良い。
きっと私が知らないだけで、私のこと、兄のこと、2人で喧嘩して泣いたりもしてたんだろう。でも最初に書いた通り2人はとても仲が良くて今でもべったり。
結婚ってそんなものなのかもしれないなって思った。何があるかわからないってことね。そして乗り越えられた夫婦は強いってこと。本物ってこと。
そんな結婚がしたいなあって漠然と思った朝でした。
そして親孝行もね。世界で一番わたしを愛してくれてる両親をわたしは世界で一番愛してる。わたしみたいに道を外すのは厄介だけど、私が両親を大好きって思うのと同じように、自分の子供には思ってほしいな。

んー文多少破綻してるけど推敲すんのだるいんでいいや。誰も読んでないんだし私にわかればいい。

会えるときは無理してでも時間作って実家に帰るし極力家にいて家族と過ごす。勿論ストレス溜まるんだけど、昔の苦労かけたことを考えればわたしがちょっと我慢すればいいだけの話。苦痛とかじゃないしね。気を使うってことかな。

結婚てなんなんだろーな。いろんな形があるから最近結婚について考えてたんだけど…まあメモかわりきちょっと思ったことを書き記したまでです。

幸せになりたいなあ。
早く結婚したい。願わくばそれが横山だといいな。このまま平和にいきますように。